僕の中学生〜高校生時代の思い出になります。
地方住みだったので、夜といえば、ウシガエルの鳴き声と
セミの鳴き声がよく聞こえてくる定番でした。
うるさいので、CDとか聞くも3,4枚くらいしかなくて、
スマホもなければ、テレビもビデオもない唯一のラジカセ。
何か聞けるかなーと夜に、チューニングして、この声聞きやすい!
と、止まったのが「AM1214」でした。
地方に住んでいた僕の地域では、本来なら東京の番組なんて聞こえない。
だけど、夜になると電波が届いていたんです。毎晩。
新聞欄のラジオの欄を見ても、1242の番組欄は存在していませんでした。
でも夜10時から朝5時までは、かなりクリアに聞けて、地元の放送局より音がよかった記憶もあります。
後になってインターネットが出てきて調べたら「電離層」という存在で聞こえる現象があると知って、そういうことで聞こえていたんだ。ああ、あれは偶然じゃなかったんだと理解した。
でも当時の僕にとっては、理屈よりも先に“奇跡”だった。地方の僕にとって大都会の東京のラジオ!しかもCMも関東ローカル知らない店ばかり出てきて聞けたのは、かなり衝撃だった。
渋谷とか原宿、新宿、何より有楽町?どこ、そこ?ニッポン放送があるとこなのか!!
銀河スタジオ?!めちゃ、キラキラなスタジオなんだろうなぁ。あの時の想像力は、今の僕に確実に繋がっている。この記事を書いてて思った。毎晩布団の上で小さいまま電球を付けて、
パナソニックのラジカセ福山さんがCMしてたコブラトップ、手をかざすとラジカセの上のトレイが浮き上がってくるんだ。(一つ屋根の下からの憧れて)
体は東京都有楽町ニッポン放送にいた。
言葉の響きだけてキラキラな銀河スタジオ、映像がないので、想像し放題だった。
その奇跡の夜に出会った1人が、伊集院光の『Oh!デカナイト』だった。
最初は当然、顔も知らない。正式な表記も知らない。凄い笑いもあるけど情もある、けど時に毒舌、しかも圧倒的な知識量、テレビでもドリフターズとか見て育ったけど、この人は絶対凄い!売れる!と初めて聞いた時から、ハマってしまった。
そして聞く専門のリスナースタンスだったが、
だから僕は「伊集院光」をひらがなっぽい感覚で捉えて、「オーデカナイト」という音のまま、カタカナで番組名を書いてハガキを送っていた。読まれたことは一度もない。たぶん、超激戦だった。
でも、読まれなくても毎晩聞いた。
月曜から金曜。4年から5年は聞いていたと思う。
ラジオって、生活の一部になる。趣味というより“時間割”になる。
番組の中には、いくつも小さなコーナーがあって、当時の僕はそれを全部まとめて「夜の楽しみ」として吸い込んでいた。たとえばベースボールクイズ。
ヒット、二塁打、三塁打、ホームランみたいな選択肢で、問題の難易度が変わる。
中学生が挑戦してたりすると、こっちは布団の中で「それ全部むずいやろ」と思いながら聞いていた。あれが面白かった。
もう一つ、今でもタイトルだけで情景が浮かぶのが「お弁当つけてどこ行くの」みたいなコーナー。
映像がないのに、勝手に頭の中に景色が出てくる。ラジオって、そういうメディアなんだよなと今なら思う。
そして、何より大きかったのは“声だけの世界”に慣れていったことだ。
ある日、僕は田舎の町の本屋で、番組関連の本を取り寄せた。
タイトルは『Oh!デカナ大百科』!しかし僕の中では「オーデカ大百科」。
店員さんに「これ入りますか?」と聞いたら、「なんでしょうねこれ」と言われた。そりゃそうだ。僕は存在しない世界線の話をしていたから。でも検索してくれて、ちゃんと取り寄せてくれた。その本が手元に来た。
そこで初めて、僕は衝撃を受けた。
「オーデカナイト」じゃなかったのだ、あんなに毎晩聞いていたのに!まさかの
「Oh! デカナイト」だった衝撃。「英語」なんだ、と本を購入するまで知らなかった。
ラジオで最新の音楽とトークを聞いていた世界が、東京から届いた贈り物(実際は自分で購入)したリアルに手元にあり地方と東京とが、つながった瞬間だった。
あの時、とても嬉しかった。夢じゃなかったんだみたいな感覚に近い。
その頃の僕は、深夜ラジオを録音して残すことにもこだわっていた。
120分テープを買って、CMをカットしたり、タイミングを調整したり、とにかく“切らずに入れたい”と思っていた。(福山さんのオールナイトニッポンは深夜2時頃に弾き語りコーナーがあって丁度テープの折り返し(リバース裏面)に切り替わる時が多かった。
今思うと、工場の現場でやる「段取り」みたいなことを、当時からラジオ相手にやっていた。
ただ、残念ながら、そのカセットテープは今もうない。
実家を手放して、物も処理されて、僕が必死に録音した夜は“物理的には”消えた。
でも、全部が消えたわけじゃない。
むしろ、音の記憶は今でも深く僕の中で生きている。
さらに深夜の第二部にも手を出した。
中学生だったから一部でほぼ力尽きてる時が多かったが、ごくまれに(昼寝とかして)
3時から5時までの、二部も聞いた日もあった(今の夜勤の仕事につながる(汗)。
4時半ごろになると急にガガガガ…と電波が崩れはじめる。アンテナを回しても、本体の向きを変えても、もうどうにもならない。(AMなので本体の向きしか関係なかった)でも、中学生で何もわからなかったのでラジカセを担いで電波を必死に拾った。(心の中では電波~電波~電波~と叫んでいた)
アンテナを回しても、本体の向きを変えても、どうにもならない夜もあった。(その時は力尽きて寝た)
5時になると、ほぼ聞こえなくなってた。オールナイトニッポン2部終了と共に、夜の魔法が解けた。
現実確認のために(今の仕事3元主義につながる)
お昼にラジオつけた事もあるが本当にまったく聞こえない、中学生の僕が、両親に聞いても、????「早く寝なさいよ」としか言われなかった。(情報の検索が本、図書館、テレビ、雑誌)
あの電波が「今日はクリアーに聞こえるのか、乱れるのか?」の毎晩が戦いだった。
(時々深夜1時2時でもラジオの受信はが乱れる時もあった(まれに))
そしてもう一つ。番組と番組がつながる瞬間があったのだ。
伊集院さんの番組にオールナイトニッポン放送前の福山さんが飛び入りで入ってきたり
したら興奮していた。(録音ボタンを押してしまう、しかしオールナイトニッポンは尻切れになってしまう120分テープの為)
「〇〇さん、1部の放送、お疲れ様でした」みたいな一言。2部のパーソナリティーが公共の電波を通して労うのも聞いている僕が嬉しかった。
遠い東京のスタジオで、見えない人たちがバトンを渡している。その流れを、地方の中学生の僕も同じ時間に受け取っている。
ラジオって、目を閉じたら、距離を一瞬で消すんだ凄いなと思った。
テレビとはまた違った距離感、同じ部屋で話しているかの錯覚(聞く専門でしたが)
僕が住んでいる以外の地方の人の事も、考えていた。
オールナイトニッポン1部の前に、地方番組が入る地域も沢山ある。新聞欄を見ながら「この地域の人は、このくだり聞けないんだなぁ」と想像した。
変に気を使う中学生だったと思う。でも正直、「Oh!デカナイト」から「オールナイトニッポン二部」まで聞けている側の自分に、
少しだけ特別な気分を感じていたのも確かだ。
あの当時の思い出は、何事にも代えがたい心の支えになって今も、僕に力をくれている。(音楽を聴いたら、またあの時代に戻れる)
しかし、大量に録音したカセットは、もう手元にはない。(また聞きたいなぁー)
だけど、あの深夜の世界の思い出は今でも残っている。
電離層の向こうから届いた声で、僕は世界の広さを知った。
今思えば、あれはただの深夜ラジオじゃなかった。
「見えない誰かとつながる」という体験の、最初の入口だった気がする。
あの夜は、いま振り返れば「接続」の始まりだったのかもしれない。
→ 接続を整理したキロク(001log)
「当時聴いてた番組メモ(順不同)」に書いときます
伊集院光、福山雅治、石川よしひろ、加藤いづみ、電気グルーヴ、裕木奈江、吉井和哉、松村邦洋、中居正広、ナインティナイン、ウッチャンナンチャン、松任谷由実、そしてYUKI(2部の1回目の放送をたまたま起きて聞いてました)
土日も、聞いてました、内田有紀、坂井真紀、中山美穂、森高千里
余談:とにかく福山雅治さんは毎週録音してました。弾き語りのコーナーの時にリバースならないように、毎週がんばってテープ調整してました。時に印象に残っているコーナーは『はやらせ隊』の「あーしんどアルシンド」「電柱でちゅー」一週間以内にギャグを広めて報告してくるコーナー、STOPエイズキャンペーンのCD「今、ぼくたちにできるこ事」のCDも買いました。伊集院光さんは、ベースボールクイズ、なんで地方からハガキ届いているんだっ?っていうのを狙って送ったのですが、見事不採用でした。
「Oh!デカ大百科」英語だったんだという稲妻の落ちる衝撃!
黒電話の前で、ニッポン放送から電話かかってくるか緊張して待ってた事もありました。
最終回はマジ泣きそうでした。もう聞けないショックは相当引きずってました。
後は土日は内田有紀さんと森高千里さんからの中山美穂さん日曜の1時半位で
試験電波に切り替わり日曜だけは、放送終わったらすぐ寝るというサイクル4,5年続けました。
オールナイトニッポンきっかけで福山雅治さんのFC「Bros.」JUDY AND MARY[JAMP]に入会しました。
次は、声だけで恋っぽいものが始まった夜の話。 を書いてます、がんばれるかなぁおれ。
最後に
あの夜を覚えている人がいたら、どこかで会えたらいいなと思う。
あの毎晩聞いていた人たちは、きっとまだこの世に沢山いると思っている。
でも、深夜ラジオの話を本気でできる友達は、近くにはいなかった。
伊集院光さんの「おべんとつけてどこいくの?」とか、
いしだ一成さんの「いっせいのせい」とか、
加勢大周さんの10分コーナーとか。
ARB荒川ラップブラザーズ。今でも車で聞いている(ちょいヤバい)。
もし同じ夜を覚えている人がいたら、
「普おた」でもなんでもいいから、そっと教えてほしい。
この記事を上げるのも、正直少し迷っていた。
でも、あの夜が本当にあったことを、残しておきたかった。
あの夜を覚えている人がいたら、いつか必ず会える気がしている。

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