僕のドラえもんは映画館から始まったわけじゃない|ゲームウォッチと入院の記憶

ドラえもんゲームウォッチ「おもしろさんかくタイムマシン」の本体 実体験・レビュー

僕のドラえもんの記憶は、映画館から始まったわけではありません。

もっと前。
病院のベッドの上で遊んでいた、ゲームウォッチが最初だったと思います。

子どもの頃、僕は半年ほど入院していました。
正確な期間はもう覚えていません。

ただ、その頃の入院生活は、あまり寂しい記憶がありません。

理由はたぶん、ドラえもんのゲームウォッチでした。


病院のベッドの上のゲームウォッチ

当時、僕が入院していた病室は
6人~8人部屋でした。

子どもから大学生くらいまで、
いろんな年齢の人が同じ部屋にいました。

親は基本、夜には帰ってしまうので、
夜の病室はほとんど子どもだけの世界になります。

テレビを見ていた記憶は、ありません。
たぶんゲームウォッチや将棋、トランプがあったので、
それだけで十分だったんだと思います。

ゲームウォッチは、誰かが一台だけ持っていたわけではなく、
みんな二つ三つ持っていたような気がします。

「これやってみる?」
「次、貸して」

そんな感じで、使っていないものを貸し借りしながら遊んでいました。

ご飯の時間以外は、
ずっと何かして遊んでいた記憶があります。

病院なのに、今思えば少し合宿みたいな空気でした。

しかも僕自身は、手術をしたわけでもなく、
薬を飲んで過ごしていたくらいの感覚だったので、
当時は「自分は本当に病気なのかな」と思うくらい、
普通に過ごしていました。

入院生活は、きっと普通なら退屈だったと思います。
でも、その頃の僕にとっては、むしろ楽しい時間でした。


将棋を教えてくれた大学生のお兄さん

同じ病室の窓際には、大学生くらいのお兄さんもいました。

当時は名前を覚えていましたが、今は覚えてません。
ただ、その人と将棋をした記憶が強く残ってあります。

たぶん、お兄さんのベッドのところで、
僕が行って、相手をしてもらっていたんだと思います。

もちろん強かったし、
きっとかなり手加減もしてくれていたと思います。

勝った記憶はありません。
でも、嫌な思い出は一つもありません。

むしろ、すごく優しかった記憶しか残っていません。

今思うと、
僕は長男なので、家の中に年上の男の人がいませんでした。

だからそのお兄さんは、
少しお兄ちゃんみたいな存在だったのかもしれません。

あと、お兄さんのお母さんから
お菓子をもらった記憶もあります。

そういうことも含めて、
病室の中の時間はかなり温かいものでした。

退院してから、母に聞きました。

そのお兄さんは、亡くなったそうです。

当時、僕はまだ5歳か6歳くらい。
「そうなんだ…さみしいな」
そのくらいの気持ちだったと思います。
話を聞いただけで、心の中でそう思って、
時間は過ぎていきました。

でも今は、自分が親の立場になりました。

もし自分の子どもだったら。
そう考えると、想像できないほど
つらいことだったんだろうなと思います。

今は、名前も覚いだせないけど・・・
でも、その人は確かにそこにいて、
僕の記憶の中では今も生きています。

だから、ここに書いておきたいと思いました。
僕は、あれからも生きてます。
あの時は、ありがとうございました。


初めて映画館で観たドラえもん

映画館で最初に観たドラえもんは
魔界大冒険でした。

母と妹と、3人で観に行った記憶があります。

映画館で2本立てを見てから帰り、
米屋のおばちゃんに会って
「映画観てきたの?」と話したこと。

そのあと、お小遣い貰って
町の小さな個人が経営する
レコード屋さんに母に連れていってもらいました。

迷わず小泉今日子さんが歌う
主題歌の「風のマジカル」
を買ってもらいました。
最初で最後のレコードです。

映画の内容も結構覚えてますが、
周りの記憶を未だに
要所、要所、鮮明に覚えています。

ただ、映画の中で一番覚えているのは、
メデューサでした。
(子どもながらに、こいつはヤバい)
(次元が違い過ぎるくらいヤバい)

タイムマシンで逃げているのに、
中にまで入ってきて追いかけてくる。

あれが本当に怖かった。

見た目もかなり怖かった。
当時トイレが、

外の汲み取り式だったので
(リビングから10メートル位、納屋を通り抜け、納屋の大きな扉を開けて
ようやくトイレ(トラクターとかコンバインが出入りする大きさ))

夜に魔界大冒険を見たらひとりで行けなくなるので
昼間に見てました。


それでも怖い時は親について来てもらい、
最速でトイレを済ませてました。
(同時期にキョンシーも怖かった)


キョンシー対策で息を止めながらも行ってました。
(メデゥーサに石にされるかもしれない)
(満月の夜は安心してました(魔法が解ける))
(注意するのはキョンシーだけだからです)


映画のあとも、ドラえもんは家にいた

映画館で観るドラえもんも好きでしたが、
ドラえもんは家の中にもいました。

テレビで1年後に放送された映画を録画して、何度も観る。
そんな家庭も多かったと思います。

僕の家もそうでした。

ただ、当時はビデオ録画も今ほど自由ではありませんでした。
レンタル屋さんの存在も知らないし、映画がビデオで売ってるとも
あまり考えなかったし・・・。

魔界大冒険をちゃんと全部録画してたのですが、
(新品ビデオテープの3倍速ですが、しっかり全部)


エンディングの曲サビ直前で
キン肉マンの映画を録画しちゃいました。

感動の余韻に浸る前に、
画面は一気にギャグ全開の世界へ。

あれは、今でも忘れられません。
(キン肉マンの映画も好きなんですが)

だから僕は、たった1枚のレコードで
「風邪のマジカル」をよく聞いてました。

それでも、
何度も何度も、その映画を観ていたました。


ドラえもんのトランプ

家には、ドラえもんのトランプもありました。

母親が懸賞で当てたのです。
「ドランプ」
という名前だったと思います。

全部のカードの絵柄が違って、
同じものが一つもないトランプでした。

ケースも少し変わっていて、
プラスチックで挟み込むような形だったのを覚えています。

無くしたくなかったので、
普段は家で遊んでいました。

ただ、小学校6年生の修学旅行には
記念になる気がして持って行きました。

使ったかどうかは覚えていません。
でも、持って行ったことだけは覚えています。

その中で一番印象に残っているのは、ジョーカーです。

ドラえもんではなく、
ピエロみたいな、少し悪魔っぽいキャラクターでした。

魔界大冒険の悪魔みたいで、
子どもの頃はちょっと怖かった記憶があります。

でもジョーカーは強いカードなので、
普通に使っていました。

コロコロコミックも毎月買ってもらってました。
映画の単行本も当時持ってました。
大長編ドラえもん9巻の のび太の日本誕生まで

パラレル西遊記の上下巻(ご病気で原作を書けなかったと後々知る)
も読んでました。

ここまでが小学生あたりの記憶になります。


今は動かないゲームウォッチ

実家はもうありません。(実際は、あるけど知らない人が住んでます)

ドラえもんのトランプも、手元には残っていません。

でも、
あのドラえもんのゲームウォッチだけは、まだ持っています。

一度は動いたのに、
今はもう電池を入れても動きません。

それでも捨てる気にはならなくて、
今はパソコンデスクのところに引っかけてあります。

そのゲームウォッチを見ながら、
こうして昔の記憶を打ち込んでいます。
(今回は実物の実写アイキャッチにしました)

あの病院のベッドの上で、
友達と貸し借りして遊んでいた時間。

将棋を教えてくれた大学生のお兄さん。

今は、名前も思い出せないけれど、
確かにそこにいた人。

記事を書いていて
そんな記憶が、ふっと戻ってきました。


記憶のしおりのような存在

人は、ほとんどのことを忘れていきます。

でも、何かのきっかけで
断片のように記憶が戻ってくることがあります。

僕にとってドラえもんは、今回の記事は、
そんな記憶の「しおり」のような存在なのかもしれません。

同じように、ふと昔の記憶を思い出した人がいたら、
それだけで、このブログを書いた意味がある気がます。

それでは、聞いてもらう曲は、

小泉今日子で「風のマジカル」



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